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フラワーレンタルって? 定期的に心に刺さる空間演出を提案
目次
人の集まるところには花があります。お客様へのおもてなしですから。
こちらは地元に愛されているお寿司屋さんです。
4月から5月にふさわしい端午の節句のアレンジメントです。和食屋さんは季節感がとても大切にされます。食材にも季節感があるように空間の演出も外せません。
五感で味わうとより季節の味わいが深まるモノです。
皆さん!
想像してみて下さい。
人の集まるところには花があると思いませんか!!
人の集まるところには花があります。人が集まると物と事が動きます。物と事が動くとお金が動きます。要するに、集客が出来て、売り上げに貢献できると云うことです。
端午の節句とは
端午(たんご)の節句とは、5月5日に行われる年中行事の1つで、五月最初の午の日に行われることから、「端午の節句」という名前がつきました。
またこのころは菖蒲(ショウブ)の花が咲く宇ことから「菖蒲(ショウブ)の節句」とも呼ばれます。
端午の節句のはじまりは、古代中国にあった楚(そ)という国で、毎年夏至になると、皆で、「ちまき」を食べてお祝いしたというのが、はじまりと言われます。
これが夏至であったのか、5月5日だったのかについての詳細は不明です。また日本では田植えを行う前に、家に女性だけが集まって、穢れ【けがれ】を祓い清める「五月忌み」という行事が行われていました。実際5月4日の夜からは「女天下」といって、男性の家への立ち入りは禁じられていたようです。このことからもともとは男性ではなく、女性のための行事であったことが伺えます。
一方貴族たちはどうしていたかというと、貴族たちは薬草を摘み、菖蒲を酒に浸して飲むといった風習がありました。また宮中では菖蒲の髪飾りをした女性が、武徳殿という部屋に集まり、天皇から薬玉を頂くといった行事が行われていたようです。さらに悪鬼を退治するという意味で馬から弓を射るといった儀式も行われていたようです。
なぜこの時期に薬草取りをしたかといえば、この時期は急な気温の上昇から体調を崩し、亡くなる人が多く昔から「毒月」と言われており、「厄除け」「毒除け」という意味で、菖蒲やヨモギの葉を門に刺すといった風習があったからです。
武士の時代と端午の節句の変遷
鎌倉時代になり、貴族から武士に文化の中心が移ると薬草取りといった風習は廃れていきます。
代わって菖蒲と「尚武」が同じであることと、菖蒲の葉が武士の持つ刀に似た形であることから、端午の節句は男児が成長し、立派な武士となるよう祈願する行事となっていったのです。既に平安期には、子供たちが菖蒲と紙で作った兜をかぶって石合戦をやっていたという記録もあります。
やがて室町時代になると、竹竿に布をかけて吹き流しにする現在のこいのぼりの原型のようなものができます。
江戸時代端午の節句は現在の形になる
江戸時代になると徳川幕府が、5月5日を重要な式日と定め、大名や旗本が式服を着て将軍にお祝いをするという行事が行われるようになりました。
また将軍に男子ができると、表御殿の玄関に馬印を立てて祝うようになります。武家のこの風習に町人も対抗し、町人は馬印の代わりに、紙でつくった鯉の吹き流しを玄関先に飾るようになります。なぜ鯉かと言えば、鯉は威勢のいい魚で、鯉の滝登りという話に代表されるように、ちょっとやそっとの困難にめげることのない姿が転じて、些細な困難をものともしない強い子になってほしいという、思いが込められたからであると言われています。
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